my life and death

our scenery

8月 16, 2009 · コメントを書く

 

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念願のコースター!
念願のガンダム!を撮るオッサン!
ぶっさん!

ラチト

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1・2・3

8月 13, 2009 · コメントを書く

お久しです。

ちょっと浮気してましたが、やっぱりこっちの使い勝手が好きです。youtubeとか、貼りたいし。

最近面白いことばっかり考えてます。壮大なテーマがあって、それに対する準備は大してない中で、一体全体どんなものが創り上がるんだろう。何なのかこのゼロからのクリエイトというものは、決してイチや二じゃなくたって良くて、こんなにドキドキするプロセスが楽しくてしょうがない。

良いことがありました。しかもかーなーり劇的で、奇跡的で、本当にドラマみたいな一幕だったと思います。照れるから言いません。

でも悪いこともたくさんありました。それは不安であり不信であり、そういうものをプラスの方向へ塗り替えることは本当に難しいことです。

ここから先どう生きようか。
ここまでは身体で感じる段階。ここからは頭で考える段階。

でもやっぱり感覚のない思考はなくて、そういうものを大事にするんだと思う。
もう自暴自棄になっててもいけないと思うし、覚悟をしなきゃいけないと思う。

正直僕はこの会社に入った時に、責任という言葉が心底怖かった。何かしらの責任を負った時に、僕にはそれを背負い切れないと、強く思っていた。から、そういう場からは極力逃げていた。本当に。それは当初自覚のないことだった。けれども徐々にやることの数以上にやらなきゃいけないことが増えていって、そこには当然の如く責任という二文字が背中合わせだった。なんでだろうって考えた時に思い当たる節は一つだけだった。一年目に感じていた消耗だった。重圧だった。

振り返ることはなしにして、今日ふと感じたことが今の僕を自覚するのに丁度いい尺度だった。僕はまだまだやれる、もっと突っ込んでやれるはず、全然今は消耗なんてしていない。
長々と営業車を運転してる瞬間だった。

そんなわけで、仕事の出来ないやつは、24時間働く。原点に戻ろうと思いました。

命がけのジャンプを、今の会社のためや仕事のためにするわけじゃなく、今の僕のためにやらなきゃいけないって、ちょっとだけほんのちょっとだけ思ったりしました。

そんなにすぐに変われんけんね。

ただ少しは変わった姿を見せたいじゃない。

そんなわけで。

ラチト

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駄作

7月 26, 2009 · コメントを書く

前触れなしにドストレートにいきます。

本日は体操のイベントへ休日出勤でした。大会ではなくイベント。オリンピック招致を絡めたお祭りでした。

ゲストは池谷幸雄氏。選手としては内村選手。その他日本のトップレベルの選手たち。

誤解を恐れずにガンガン書きますが、体操はマイナースポーツ。仮に箱が代々木の体育館であれ、どこであれ、観客でいっぱいになんて到底なりません。要するに、お客さんが体操ってものを知らないし、その魅力を知らない。だからこそ、日本代表という自らとの接点を強制的に与えられたカテゴリーじゃないと身近じゃない。

今回のイベントがオリンピック招致に関する意識向上を促そうというのなら、テーマはオリンピックとは、オリンピックの魅力、そういうことだったと思うけれど、そんなもん日本の選手だけ呼び寄せて、その経験もない選手もいる中で伝えられるはずなし。正直まったく的外れで語るべきこともないと思っています。そうなると、体操という競技に対する周知、コミュニケーションを生むってこと。それがこのイベントの本当の趣旨だと思います。

そんな中で、

イベントの主催者の中でどれだけの人間が体操の魅力ってことをわかっていたのか。正直僕にはわかんない。し、伝わらなかったと思っています。演出をする人間、マイクを持つ人間。彼らがどれだけわかっていたのか。伝えようとしていたのか。

彼らがやっていたのは単なる自己満足。その場を完結することだけに終始した、意義の薄い一日だったと強く感じています。なぜならば、

体操がわからない、知らない、マイナーである、その理由は、どこででも見られるほどの露出もなく、故に競技そのものがどういった仕組みであるか、またその競技のすごさがどこにあるのか、それがまったく伝えられていないから。だと僕は思っています。要は、何がその競技、演技の凄さであるのか、それがすごくわかりづらいということ。スピード感もある、高さも、力強さもある。だけれど、その人間離れした性質故に評価の指標がわからない。

着地をピタリと止める。そんなもの誰が観たってわかるし、理解できる。だからその場面では誰だって沸けるのだけれど、本当にそれだけ見てれば良いのかって言ったら絶対にそうじゃない。それに対して、誰がどんな演技をしているのか、説明をしてあげるのは懇切丁寧。だけれど、言葉だけが走って、「見てもきっとわからないから」って諦めの言葉を発した瞬間に心底冷めた。要はそこが一番知りたいのであり、その見方を伝えてあげるのが、魅力を実感してもらうことに繋がるんじゃないのか。

前にオーケストラの演奏をさして、正しいものを正しく伝えることが必要、と説いた人がいました。シンプルに大事なことを言っていると感じました。正しいものっていうのをまずは理解しなきゃいけないし、それをどう伝えれば一番よく伝わるのかってことを考え、遂行することが二番目。こういうイベントで、やみくもに知名度のある人間を連れてきて、派手にやりたい放題やるっていうことがイベントだと言うのであれば、そんな脳のないことばかりやっていく競技に明るい未来なんてないだろう。

このイベントの中に、正しいモノっていうのが何であり、それをどう伝えていたかってことを考えると、正直もったいないって思うしかない一日でした。し、くだらないとまで感じました。

外で売ってた焼きそばの方が感動したし、かき氷の方が旨かった。

どうしようもない一日でした。

ラチト

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手紙

7月 25, 2009 · 4件のコメント

帰宅して、郵便受けに手書きの自分の名前が書かれた封筒入っていたら、何て嬉しいのでしょう。なんだかそれだけで気分が高揚して、ちょっとドキドキ感をあおるためにもあえて後ろは見ないようにして、荷物を下ろしてスーツを脱いで、煙草をくわえて自分自身の嘘を隠すかのように落ち着いた手取りで封筒を取り出す。

手書きのDM

今時洒落てるな。そういえば洒落てる服屋さんからだった。

まあ、よしとしよう。

友達が結婚します。会社の仲間も結婚します。先輩も。そして、身内も。

結婚ラッシュが来た。幸せな話は少し嬉しい気持ちになります。おめでとうって、言えることは素敵なことですね。

面白いことを考えるきっかけを貰って、少しだけ楽しくなりました。こういうことが、少しずつ面白くしてくれるのかもしれない。

面白いことを思いついたら教えて下さい。

ダッポクする上司を驚かすことばかり考えていたあの頃をちょっとだけ思いだして、それもまた素敵な感覚だった。

ラチト

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ピロシさん

7月 23, 2009 · 2件のコメント

永遠のダブルピース。ピロシさんです。

どうも。息詰まる映画のクライマックスみたいな二日間を過ごしました。頭も身体もくったくたです。3時間モノの映画を観終わった後みたいな感覚。幾度も高揚し、時に泣きたくなるような想いもして、笑は残念ながらなく、そんな感じ。本当に疲れた。18時を過ぎると本当に安心する。電話鳴らなくなるし。取らなくても悪気ないし。

そんな生活してたら、降ってきたのがピロシさん。そう、僕の大好きな、でもここ2,3年まったく会ってない、素敵なおっさんです。坊主ね。

ある時写真に写るピロシさんはイケメンのくせに超笑顔でダブルピースを頭の上でかましてました。驚愕しました。とともに全面的にリスペクトを心に決めました。

それ以来、僕の写真は基本的にダブルピースです。そして好きな人とお別れする際もダブルピース。もちろん頭の上。

そんな彼がふと脳裏をかすめた。

恐るべし皆既日食。

明日も頑張ります。

passion pit でピロシさん。

関係ないか

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萎れる

7月 21, 2009 · コメントを書く

静岡の主婦にコケ落とされました。
もうちょっと萎れてたまるか

“passion pit”

最近彼らが最高です。エフェクトかけまくる音楽からは感性とか感情とかが脱色されやすくて、perfumeとか人間そっくりの人形みたいな表情をしている気がします。それが良い悪いではなくて、もともと僕もperfumeは大好きだし、否定もしたくはないけれど、やっぱり耳の次には心を打つ音楽が大好きなわけで。彼らはそういう意味ですごく心を打つテクノ。

三連休は実家に帰りました。結果から言うと、何だかいろんなことを感じた休みでした。けどそれが実際どういうものでどういう想いへ至ったのかは自分でも全然理解できません。やる気が出たのか、脱力したのか。希望が見えたのか、絶望が継続したのか。

結果は明日からの一週間でひとしきり出て、その後の人生でその続きが表出します。どうだっていいやってよりも、ちょっとそれを楽しみにも出来るところが、少しだけ変わったところかもしれません。ただ、文章を書いてるのに全然文脈が噛み合わさってなかったり、表現自体がおかしくなっちゃうのは、間違いなく思考力が低下してるってことだと思うのです。それだけは事実。集中力がなくて、思考力がなくて、それだけは、これからリハビリしなくちゃいけないなと思っています。

頭が回らなくなるほど心が擦り切れたってことは、確かなのかもしれません。

いろんな今の想いを表現する場所が先週あって、おかげで少し楽になったのは確かです。何かを変えたり変わったりってことがあったわけじゃないけれど、そういう場所があるだけで心の重荷が軽くなるってのは、やっぱりあるもんですね。だから話を聞いてもらうってことは大切なわけで、聞いてやるってことは大切なことなわけだ。

そういう中で自分が心底堪えてることも剥き出しになってきて、それはやっぱり自分がこうなってしまったってことを自分自身が一番悔やんでいて、へこたれていて、苦しんでいたんだった。それ自体はもうどうやったって変えられるわけじゃないから、これがひっかかっている以上、僕はずーっと堪えているんだと思う。要はそれを覆い隠すほどの充実やポジティヴがこの場にない限り、僕はこの場にはいられないってことだと思う。

こういう音楽が好きなくせにそういう現場へ行けてないことや、楽しいことを楽しいとも感じられない現実を、これからどうやって変えていけるんだろうか。

そんなわけで、今日のところは。

ラチト

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一年

7月 12, 2009 · 3件のコメント

ご無沙汰しちゃいました。すげー間空いた。何も書く気がしなかった、正直。

自分の大事な北海道の母ちゃん。大切な時期を迎えていたようで、自分のことも振り返りながらいろいろ考えさせられました。たぶん人一人それぞれの振り返るべき時代っていうのがあって、それが今に繋がってる、礎になっている、それぞれに納得して、反省して、紆余曲折を経て結局はタメになる。悪く言うこともなく、結局人間辛かったことや苦しかったことって絶対に忘れる。痛覚や感覚そのものは絶対に忘れる。それでも断片的な記憶だけは残っているもので、その紡ぎ合わさったもので造られる今。

だから、たぶん結果どうなったとしても、今は当然の如くあり続けるし、その積み重ねで先っていうのもたぶんある。自分の人生を大切に思えば思うほど、それはきっと大して悪いものにはならない。悪いという評価をしなくなるんだと思う。反省後改善を考えるから。

小中と一緒にバスケをしていた奴が結婚する。そういう節もあって、その頃を思い返してみたりする。それは間違いなく今の僕にとってすごく大切な時期だったし、それこそそれを糧に踏ん張れたこともあったと思う。でもちょっと違う角度で考えてみたら、どうしてもっと違うことを考えられなかったのかとか、違う道を考えなかったんだろうって、思わなくもない。でもどの道こんなんなってたんだろうなって思わなくもない。最終的には、どうでもいいやって終わる。

東京にきて一年経ちました。この一年で…

考えるだけでも嫌になる。

いかようになれども、過ごした時間は何かに変わる。でも、本当にどうでもいい。食えなくなったら死ぬしかないし、食えてる今食えなくなることを心底考えることなんかできないし、もともとこういうことばっかり考える性分だったとは思うけど、ここまでなるなんて思わなかった。面白くなんて考えられないし、それはだって面白くないからだし、冷めてるなんて言われたって、冷めるようなことしかないんだからどうしようもないし、変わるきっかけなんて、もうどうやったって作れない。

だからあきらめます。

バスケは楽しかった。久しぶりに好きな店で服も買った。お香も買った。それがどうして繋がらんのか

そうやって、今週も過ごします。

八月の連休がデットラインです。

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おやじ

6月 30, 2009 · コメントを書く

一週間以上経ちました。死んだ疑惑とかありました?最近追悼番組ばっかりやってるのは僕じゃないです。すみません。

何かが変わるような一週間を過ごしてたわけではないです。いつもと変わらず、何にも変わらず、悪くなることはあれど、良くなることなんか何もないような一週間です。そろそろ本気で先のことを考えようと思います。

いつもいつもいっつも、自分が悪くなる時に家族は知らないところで苦しんでます。親父も苦しい、爺ちゃんも苦しい、婆ちゃんも苦しい。親父の日も、もちろんおかんの日も、結局何にもしてあげられなかった。ツケなのか何なのか、日常的なところに少しずつほころびが出てきて、家族の形が変わらざるをえなくなって、そんな時に自分は何にも出来ない。自分が生まれ育った輪が。何よりも大事なはずの輪が。

何にも出来ない。何にも出来てない。いつしか自分のこと以外考えられなくなって、助けて欲しかったのは自分だけじゃなかったはずなのに、そんな状況さえも理解出来ずにいた自分が本当に情けない。

今日久しぶりに親父と話しました。もっと良い報告でも出来りゃまだしも、どこまでも歯切れの悪い自分に親父も何か気付いたみたい。そりゃ気付くよね。血が繋がってんだから。

先週ある時、どうしても自分自身さらけ出せない部分を自覚しました。どうしようもないほどにしんどいとわかっていながら、本当に助けて欲しい時にどうしてもそれが表現できない。人に心配をかけまいとすることが日本人の美徳なら、僕はどこまでも日本人だと思いました。中途半端に気をもませる時点でよっぽど心配かけてんのに、最後の最後でそれが出ない。出せない。それってきっと、弱い中でもとことん弱いってことなんだと思いました。強さってきっともっと違う気がする。

親父だってきっとしんどい。でも自分のことはさておき、何か感づいて言ってくれた。とことん親父でい続けた。そういう強さが、僕には全然ない。

何か感じたんだけど全然表現できない。

前か後ろか、とにかく進まなきゃダメだ。

これが今のテーマソング。

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自暴自棄

6月 20, 2009 · 2件のコメント

波が又来そうな予感です。恐怖です。ムーです。

本日は一日ぐったりして、なーんにもしなかった。普段何にもしたくても出来ないから、こんな一日がとてつもなく無駄な気がするんだけれど、もう何にも起こせない。

昨日地元からやってきた同級生は、僕と同じような状況に陥って一つ目の会社を去った。同じくタメで、札幌にて闘ってたやつも、最近その職場を去った。心を病んだよう。世田谷の方で働いてたやつも。そしてその仲間も。
きっとどの年回りだって特別じゃないんだろうけど、こんなにも同じような事態があちこちで起きている。その問題をどうこうする力なんてあるわけもないし、今さらそれを分析する気にもならない。でもここにきてとにかく、普通に生きるってことはとてつもなく困難で、全然普通なことじゃないってことだけは感じるわけで、先のことは考えれば考えるほど重たい気持ちになる。

どうしようもなくしんどくなった時に、どう立振る舞うべきか、札幌にいた時は全然分かんなかったから自分の感情を失うことを選んだ。喜びもしなければ憤りもせず。人に言われたことも二つ返事で、心に響かせる前に耳に入れることだけ考えて、反応は二の次だった。

それがどういう結果を生むのか、その経験があるから今の僕は同じことをしない。しちゃいけないとも思っている。そういう思いだけが今の自分をここに生きた人間として立たせてくれていて、それがなければとっくに抜け殻。とはいえ、もう瀕死だなって自分でも感じているわけです。

昨日仕事終りに会社の、というか会社の人もいるバスケがあって、業務は全然終わっているわけじゃなかったけど、行かずにはいられなかった。もう溜まりに溜まったストレスや雑念を払うのに、物事を選別してる暇なんかなくて、とにかく発散することだけしか考えなかった。

もはや棚から落ちてくる餅を待つしかなくて、自信や気力なんてものは一切ストックされてません。限界です。

深夜のパフェもまずいし、飯はコンビニばっかり。

東京ってそんなとこ。ていうか、僕の生きるのはそんな場所。残念。

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宗教大会

6月 18, 2009 · 3件のコメント

どうも、ムーです。

昨日は北のお父さんとの再会の日でした。しっかしまーある程度の頻度で会ってないと気持ち悪くなりますね。そんな発言が気持ち悪いところですね。でも本当に長らく会ってないと寂しいくらいの人がいるってことは嬉しいことですね。

設計事務所との素敵な打ち合わせの後にゆりかもめは相当アガリました。でもその後のイベントでガッツリやる気なくなりました。もう本当に心底僕はこの業界にいられないなと痛感しました。間違っても、トレーニングマシンはあくまでフィットネスマシンであって、トレーニングではないことを思い知りました。あんな気持ち悪い現場は二度とごめんです。

ただそこでもミスター山ちゃんと再開。日本語がたどたどしくなってたことに違和感笑

その後水上バスにて移動。

ダメだ本当にやる気なくなってきた。

とりあえずdedemouseのyoutubeはカッコよすぎる。家でマジで踊った。
こんなライブに行きたいので、行きたくなったら誘ってください。

ラチト

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