月別アーカイブ: 8月 2011

南無


1年ぶりの東京でした。帰ってみたら前回いつ帰ったかを間違って認識していたみたいで、1年てのは記憶を違えてしまうくらいの期間なんだなーと、自覚している以上に時間は経っていたみたいです。

今回は会いたい人にとことん会おうと思い、それまではどこに行きたいとか何を食べたいとかそんなことばかり考えていたけれど、少し違う感覚で計画してました。結果、もちろんすべて思った通りではなかったけれど、短いながら充実していた気がします。

色んな人が遠ざかって、寂しい想いが大きかった時期でした。何をやるかよりも、誰とやるかを考えて来た札幌だったけれど、そういう当初の付き合いや想いが薄れているのを、自分でも実感していたところ、そんな中で今をどう生きていくかって事をすごく考えられた数日間でした。菅原さんのように自分が尊敬している人と会い、セノーの元同僚と会って、背中を追っていた元上司と会って、今まさにディープな仕事付き合いをするような人とも、もちろん家族とも会って、その芯というか、根底の部分を改めて強くするような。

人がいなくなっていくことを何となく喪失感として捉えていたけれど、いろんな人と出会えたことを今は豊かさだと思えるようになりました。もちろん会いたい人とはずっと付き合っていたいけれど、自分の記憶や感覚に残った”その人”をきちんと心に残しているし、そういう中から自分がどう進んでいくかを作っている気がするし、何より、またいつか会えるという想いを持ち続けられるような関係を、作れた人がいる。今は逆に、そう思える人間関係を改めて作っていかなきゃ行けないし、作りたいとも思う。

魅力的な付き合いを、していかなきゃいけない。それが次の豊かさに繋がるんだなと思った。

地元も横浜も東京も札幌も、僕は改めて好きだと思った。住む街で仕事を選んだって決して恥ずべきことじゃないと思っていたけれど、不思議と今は街のことは考えなくなった。どこにいても、やりたいことをやり、なりたい自分になれるようにすることしかないと吹っ切れたのかもしれない。

何となく今回は、ステイしている間も帰ってきてからも幸せな気分でいます。

それぞれがものすごく強烈な時間で、印象的すぎてまとめてどうってことは難しいのだけれど、今がこういう気持ちだということが全てなのかな。おそらくまたしばらく帰ることはないだろうけど、それまでまたここで前へ進めるように。しっかりやっていかなきゃ。そんなわけで。

また

weaponと、タカちゃんと、三人で車に乗って出かけるテンションで、実感もないままに今日を迎えました。サブロクを走って、高速を走って、そこまではいつものこと。千歳が見えてきたって何にも思わないけれど、”国際線”へ入る辺りから、ちょっとそこまで行ってくる感覚とは違う遥かに大きな距離感を感じて、”その時”と直面しました。

最後の最後に北海道っぽいものとか、そういうものは一切不要だった気がして、どうせなら宮越屋とか、そんなことはどうでも良かった。別れる瞬間まで、どうったことない話をして、過去の話をして、これからの話をして。

最後までタカちゃんらしかったのは、チェックインのカウンターで、何人かが案内をしている中からあえて若い姉ちゃんの所を選んだこと。しかもそれをあえて自分からは言わず、最後の最後に笑いながら”何であそこ選んだかわかった?”って聞くところ。その子の名前をちゃんと確認済みだったのは当然。タカちゃん、あなたがそういう人間だってのはもうとっくに知ってます。

そういう”あえて言わない”強さを持っていたのがタカちゃんで、あえて言わないから、時にこぼれてしまった弱音や愚痴が、ものすごく痛々しかった。でもタカちゃんのそういう強さや大きさに、どれだけの人が助けられたか。慕っていたか。たぶんそういうのは、きっと本人もわかっていたと思う。

たくさん飯も食いに行ったし、飲みにも行った。バスケもした。素敵な近所付き合いだったし、尊敬出来るトモダチだった。これが別れっていう感覚じゃないけど、しばらくはきっと会えないと思う。バイバイした後に、少しずつ実感がわいてきた。

最後に握手した時、力を込める程涙腺が緩んだ。お互い涙はないけど、純粋な笑顔でもなかった気がする。あれだけ人に手を振ったのはいつぶりだろうってくらい振った。いつもは”また”の一言だけれど、今度のまたはいったいいつだろう。

いつでも会える人が減っていって、いつか会いたいと思える人ばかりが増えてきた。しばらく会えない内に、どれだけ彼の強さを見習えるだろう。

アメリカ仕込みの九州男児。なんかかっけー。

タカちゃん、また!

あと

8月14日PM23:40です。PCの前に貼ってあるカレンダーを、やっと7月から8月へめくりました。半分も過ぎてからになってしまったのは、それなりに忙しく、ばたばたと過ごしていたということかも。単なるめんどくささゆえか、真意はわかりません。

8月のカウントアップは、TAKAちゃんとの別れのカウントダウンとイコールで、今日も一緒にモンゴルへ出国して、鉄鍋上でチンギスハーンと大喧嘩してきました。今日の晩飯はすごく美味しかった。幸せな気持ちになって、久しぶりにご飯を美味しく食べられた気がします。

帰路を二人で歩いているうちに、僕自身が北海道を離れた時のことを思い出して、いろんな場所と人に会っておきたい気持ちと、それぞれに、これが最後、そういう気持ちを込めて挨拶をして、手を握りしめて。そうして旅立っては、そこから先のことなんて全然わからないし、ただ、しばらくの期間間違いなく会えなくなるっていう実感が、積もりに積もって、寂しさを隠しきれない。僕が北海道に来てから、本当にたくさんの人が離れていく。それ自体を悲観はしないけれど、寂しさだけは確かに募る。

背中を押したい気持ちと、どんどん寂しくなる想いとが交錯して、今は寂しいベクトルが強くて、ちょっと辛い。

無理くりにでも上げていこうとは思うけれど、どうだろう。

選択

8月11日の、AM2:00です。Redbullを飲みながら、洗濯が終わるのを待ってます。暑さ以上に空気の重さがうざったい夜だけど、こんな重さは全然重たく感じない。横浜の熱気に比べれば、東京の熱波に比べれば、そうやってこの夏もしのいでます。

最近、生活が一変したように思います。理由はたったひとつ。福井のweaponが投下されたことに尽きます。彼は着地と同時に爆発するかと思いきや、空中で勝手に自爆したりする奴で、要するに突飛な奴で、おかしな奴で、でも憎めない、オモロい奴。しばらくの二人暮らしや、真夜中のベッド手運び引っ越しや、更けた時間からのガストや、何だかまあ楽しくやってます。

かと思いきや、もうすぐ離れてしまう勇者もいます。タカちゃんは、今や最も古株になってしまった。一番北海道が長かったけれど、どれだけ良い想いを持って帰ってくれるだろう。しんどい時もそれを表に出さない強さを持ったタカちゃんの、最近はしんどい顔しか見られてなかった気がする。一緒に笑った記憶を辿りたいけれど、残念ながらあんまり思い出せない。最後に残る記憶が、北海道という記憶が、そういうモノでいっぱいになってしまうのは哀しすぎる。

それが理由かはわからないけれど、最近はいつも3人でいる気がする。ベッドをマンションから出したは良いけれど、引っ越し用の車に入らずに手運びを強いられるなんて、どうしようもない手際の悪さが生んだ苦行も、継ぎ接ぎだらけの北海道を象徴するみたいで、逆にオモロかったかも。

夢を持って札幌に帰ってきたweaponの選択が僕は好きだし、夢を持って北海道を離れるタカちゃんの選択も僕は応援したい。でもここにきてやっぱり、すごく寂しさが増してきて、あと何回タカちゃんに会えるかななんて彼氏と彼女みたいな思いも、正直感じるのです。

そういう、深い関係を持った付き合いを、日々働く中でも築けたら良いのだけれど、残念ながらそういう人間性を持った人は、多くない。むしろ少ない。そしてそこに諦めも感じてきた。だから最近全然面白くないし、面白くなる気もしない。

そんなことで、まだまだ終わらない洗濯をただ待つのです。