my life and death

7月 2009 からの投稿

駄作

7月 26, 2009 · コメントを書く

前触れなしにドストレートにいきます。

本日は体操のイベントへ休日出勤でした。大会ではなくイベント。オリンピック招致を絡めたお祭りでした。

ゲストは池谷幸雄氏。選手としては内村選手。その他日本のトップレベルの選手たち。

誤解を恐れずにガンガン書きますが、体操はマイナースポーツ。仮に箱が代々木の体育館であれ、どこであれ、観客でいっぱいになんて到底なりません。要するに、お客さんが体操ってものを知らないし、その魅力を知らない。だからこそ、日本代表という自らとの接点を強制的に与えられたカテゴリーじゃないと身近じゃない。

今回のイベントがオリンピック招致に関する意識向上を促そうというのなら、テーマはオリンピックとは、オリンピックの魅力、そういうことだったと思うけれど、そんなもん日本の選手だけ呼び寄せて、その経験もない選手もいる中で伝えられるはずなし。正直まったく的外れで語るべきこともないと思っています。そうなると、体操という競技に対する周知、コミュニケーションを生むってこと。それがこのイベントの本当の趣旨だと思います。

そんな中で、

イベントの主催者の中でどれだけの人間が体操の魅力ってことをわかっていたのか。正直僕にはわかんない。し、伝わらなかったと思っています。演出をする人間、マイクを持つ人間。彼らがどれだけわかっていたのか。伝えようとしていたのか。

彼らがやっていたのは単なる自己満足。その場を完結することだけに終始した、意義の薄い一日だったと強く感じています。なぜならば、

体操がわからない、知らない、マイナーである、その理由は、どこででも見られるほどの露出もなく、故に競技そのものがどういった仕組みであるか、またその競技のすごさがどこにあるのか、それがまったく伝えられていないから。だと僕は思っています。要は、何がその競技、演技の凄さであるのか、それがすごくわかりづらいということ。スピード感もある、高さも、力強さもある。だけれど、その人間離れした性質故に評価の指標がわからない。

着地をピタリと止める。そんなもの誰が観たってわかるし、理解できる。だからその場面では誰だって沸けるのだけれど、本当にそれだけ見てれば良いのかって言ったら絶対にそうじゃない。それに対して、誰がどんな演技をしているのか、説明をしてあげるのは懇切丁寧。だけれど、言葉だけが走って、「見てもきっとわからないから」って諦めの言葉を発した瞬間に心底冷めた。要はそこが一番知りたいのであり、その見方を伝えてあげるのが、魅力を実感してもらうことに繋がるんじゃないのか。

前にオーケストラの演奏をさして、正しいものを正しく伝えることが必要、と説いた人がいました。シンプルに大事なことを言っていると感じました。正しいものっていうのをまずは理解しなきゃいけないし、それをどう伝えれば一番よく伝わるのかってことを考え、遂行することが二番目。こういうイベントで、やみくもに知名度のある人間を連れてきて、派手にやりたい放題やるっていうことがイベントだと言うのであれば、そんな脳のないことばかりやっていく競技に明るい未来なんてないだろう。

このイベントの中に、正しいモノっていうのが何であり、それをどう伝えていたかってことを考えると、正直もったいないって思うしかない一日でした。し、くだらないとまで感じました。

外で売ってた焼きそばの方が感動したし、かき氷の方が旨かった。

どうしようもない一日でした。

ラチト

カテゴリー: works

手紙

7月 25, 2009 · 4件のコメント

帰宅して、郵便受けに手書きの自分の名前が書かれた封筒入っていたら、何て嬉しいのでしょう。なんだかそれだけで気分が高揚して、ちょっとドキドキ感をあおるためにもあえて後ろは見ないようにして、荷物を下ろしてスーツを脱いで、煙草をくわえて自分自身の嘘を隠すかのように落ち着いた手取りで封筒を取り出す。

手書きのDM

今時洒落てるな。そういえば洒落てる服屋さんからだった。

まあ、よしとしよう。

友達が結婚します。会社の仲間も結婚します。先輩も。そして、身内も。

結婚ラッシュが来た。幸せな話は少し嬉しい気持ちになります。おめでとうって、言えることは素敵なことですね。

面白いことを考えるきっかけを貰って、少しだけ楽しくなりました。こういうことが、少しずつ面白くしてくれるのかもしれない。

面白いことを思いついたら教えて下さい。

ダッポクする上司を驚かすことばかり考えていたあの頃をちょっとだけ思いだして、それもまた素敵な感覚だった。

ラチト

カテゴリー: life

ピロシさん

7月 23, 2009 · 2件のコメント

永遠のダブルピース。ピロシさんです。

どうも。息詰まる映画のクライマックスみたいな二日間を過ごしました。頭も身体もくったくたです。3時間モノの映画を観終わった後みたいな感覚。幾度も高揚し、時に泣きたくなるような想いもして、笑は残念ながらなく、そんな感じ。本当に疲れた。18時を過ぎると本当に安心する。電話鳴らなくなるし。取らなくても悪気ないし。

そんな生活してたら、降ってきたのがピロシさん。そう、僕の大好きな、でもここ2,3年まったく会ってない、素敵なおっさんです。坊主ね。

ある時写真に写るピロシさんはイケメンのくせに超笑顔でダブルピースを頭の上でかましてました。驚愕しました。とともに全面的にリスペクトを心に決めました。

それ以来、僕の写真は基本的にダブルピースです。そして好きな人とお別れする際もダブルピース。もちろん頭の上。

そんな彼がふと脳裏をかすめた。

恐るべし皆既日食。

明日も頑張ります。

passion pit でピロシさん。

関係ないか

カテゴリー: life

萎れる

7月 21, 2009 · コメントを書く

静岡の主婦にコケ落とされました。
もうちょっと萎れてたまるか

“passion pit”

最近彼らが最高です。エフェクトかけまくる音楽からは感性とか感情とかが脱色されやすくて、perfumeとか人間そっくりの人形みたいな表情をしている気がします。それが良い悪いではなくて、もともと僕もperfumeは大好きだし、否定もしたくはないけれど、やっぱり耳の次には心を打つ音楽が大好きなわけで。彼らはそういう意味ですごく心を打つテクノ。

三連休は実家に帰りました。結果から言うと、何だかいろんなことを感じた休みでした。けどそれが実際どういうものでどういう想いへ至ったのかは自分でも全然理解できません。やる気が出たのか、脱力したのか。希望が見えたのか、絶望が継続したのか。

結果は明日からの一週間でひとしきり出て、その後の人生でその続きが表出します。どうだっていいやってよりも、ちょっとそれを楽しみにも出来るところが、少しだけ変わったところかもしれません。ただ、文章を書いてるのに全然文脈が噛み合わさってなかったり、表現自体がおかしくなっちゃうのは、間違いなく思考力が低下してるってことだと思うのです。それだけは事実。集中力がなくて、思考力がなくて、それだけは、これからリハビリしなくちゃいけないなと思っています。

頭が回らなくなるほど心が擦り切れたってことは、確かなのかもしれません。

いろんな今の想いを表現する場所が先週あって、おかげで少し楽になったのは確かです。何かを変えたり変わったりってことがあったわけじゃないけれど、そういう場所があるだけで心の重荷が軽くなるってのは、やっぱりあるもんですね。だから話を聞いてもらうってことは大切なわけで、聞いてやるってことは大切なことなわけだ。

そういう中で自分が心底堪えてることも剥き出しになってきて、それはやっぱり自分がこうなってしまったってことを自分自身が一番悔やんでいて、へこたれていて、苦しんでいたんだった。それ自体はもうどうやったって変えられるわけじゃないから、これがひっかかっている以上、僕はずーっと堪えているんだと思う。要はそれを覆い隠すほどの充実やポジティヴがこの場にない限り、僕はこの場にはいられないってことだと思う。

こういう音楽が好きなくせにそういう現場へ行けてないことや、楽しいことを楽しいとも感じられない現実を、これからどうやって変えていけるんだろうか。

そんなわけで、今日のところは。

ラチト

カテゴリー: life

一年

7月 12, 2009 · 3件のコメント

ご無沙汰しちゃいました。すげー間空いた。何も書く気がしなかった、正直。

自分の大事な北海道の母ちゃん。大切な時期を迎えていたようで、自分のことも振り返りながらいろいろ考えさせられました。たぶん人一人それぞれの振り返るべき時代っていうのがあって、それが今に繋がってる、礎になっている、それぞれに納得して、反省して、紆余曲折を経て結局はタメになる。悪く言うこともなく、結局人間辛かったことや苦しかったことって絶対に忘れる。痛覚や感覚そのものは絶対に忘れる。それでも断片的な記憶だけは残っているもので、その紡ぎ合わさったもので造られる今。

だから、たぶん結果どうなったとしても、今は当然の如くあり続けるし、その積み重ねで先っていうのもたぶんある。自分の人生を大切に思えば思うほど、それはきっと大して悪いものにはならない。悪いという評価をしなくなるんだと思う。反省後改善を考えるから。

小中と一緒にバスケをしていた奴が結婚する。そういう節もあって、その頃を思い返してみたりする。それは間違いなく今の僕にとってすごく大切な時期だったし、それこそそれを糧に踏ん張れたこともあったと思う。でもちょっと違う角度で考えてみたら、どうしてもっと違うことを考えられなかったのかとか、違う道を考えなかったんだろうって、思わなくもない。でもどの道こんなんなってたんだろうなって思わなくもない。最終的には、どうでもいいやって終わる。

東京にきて一年経ちました。この一年で…

考えるだけでも嫌になる。

いかようになれども、過ごした時間は何かに変わる。でも、本当にどうでもいい。食えなくなったら死ぬしかないし、食えてる今食えなくなることを心底考えることなんかできないし、もともとこういうことばっかり考える性分だったとは思うけど、ここまでなるなんて思わなかった。面白くなんて考えられないし、それはだって面白くないからだし、冷めてるなんて言われたって、冷めるようなことしかないんだからどうしようもないし、変わるきっかけなんて、もうどうやったって作れない。

だからあきらめます。

バスケは楽しかった。久しぶりに好きな店で服も買った。お香も買った。それがどうして繋がらんのか

そうやって、今週も過ごします。

八月の連休がデットラインです。

カテゴリー: life