ご無沙汰です。lil ラチトです。
その話は後に回すとして、土日はいろいろあったと思いきや、またもや一瞬で過ぎ去りました。
かの事故をもって、表れだしたものはあらゆる意味での責任転嫁と、たらい回しの社会の象徴でした。当然という言葉と、あるべき論とのせめぎ合い。現実と理想とのせめぎ合い。未熟なモノや越えきれない壁を痛感し、その中でどういうリアクションを取れるのか、今は今の立ち位置でしっかり考えないといけない。
決断に時間は要らない。必要なのは、正確な決断を下すための材料と、その後の結果に対する反省、ルート調整、邁進力。
色んな局面で、決断しなければならないけれど、それが出来るポジショニングは多少面白みがある。たぶんそういう権限を与えられることが本来の仕事であって、それがあったればこその魅力があるんだと思う。長いこと続く会社にはそれなりのケーススタディってのがあって、相応の対処方法が経験的に蓄積されていて、その強みは確かにあるのかもしれない。
ただ決定的にないものもある。
おそらくそれは大義であって、判断を裏付ける根幹を成すものであって、それがないままに作り出された教科書だから、矛盾や行き詰まりを生む。手を入れなければ道なんていくらでも逸れていけて、結局それに気付くのはそんな教科書作りに加勢しなかった世代になるんだと思う。そういう時に若い力が経営に反映されないシステムは絶対に破たんする。
そういうことを考えた一週間でした。少しずつわかることが増えてきたのは事実だと思う。
現実を前向きに捉えられそうになると、ちょっと待てと手のひらを反すもう一人がいる。たぶんこの場所に納得すらさせようとしてくれない。その話はまた今度だな。
bjが終わりました。ものすごく反応しづらい結果で終わりました。東京の開幕の集客に驚き、代々木での新たなバスケットを目撃して、滋賀の奮闘に期待し、有明で終わる。あの形で終わる。現場に入る前の僕のイメージのままシーズンが終わっていたら、bjがbjとして盛り上がる現実を容易にイメージ出来たのに。
現実を知れば知るほどバスケット界に光明は容易くないと痛感する。それを実感する現場に立ち会うのも、なんだか複雑な気持ちになる。
でも愉快な30代には心底なりたいと思った。素敵な30歳なら若いだけの20代になんか何の未練もなくオサラバ出来る気がしてきた。常に先を走ってくれる人が身近にいるのは幸せなこと。でも同時にすごく悔しくもあって、そういう気持ちがまだまだ起きるんだなーって、ダメダメでも前を向く意志だけはあるみたい。一番罪なのは、意志だけで力がないことだってことは知っているけれど。

彼の名はデミー。僕の口から横文字を引っ張り出した久しぶりのグッドガイでした。デスク上はもちろんご存じの日本語です。素敵過ぎる。そしてあんなにも長い時間鋭利な金属を刺されたのは初めてだ。もう死ぬまで注射なんてしなくたって罰は当たらないと思う。
マッサージも然り、痛みを伴うことで得られるgainを、文字通り痛感しました。それと同時に、あれだけ痛覚を刺激され続けると、何とも表現しえぬ気持になった。生きてる気がした。思えば死んだような日々に痛覚は反応しなかった気がする。逆療法みたいな?笑
安っぽい批判にどうこう思う気もありません。安易だとか、尊重とか、そういう言葉で僕を責めようなら、それはあまりに自己批判が無さすぎると言い返します。大切にするべきはそんなどうしようもない自分が表現するまさに自分自身だと思っています。僕にとってはこれも、刻まれたこの文字も、大事なものなんだと、僕は思っているから、だからこその結果です。
お気に入りがまた一つ増えました。
大事にします。
では、また一週間。
lil ラチト