本日お休みです。ゆっくり目覚めて、ちょっと起きてまた寝て、今年の休みはずっとこんな感じ。
今年のって枕ことばはおそらく来年も使います。
派遣労働者切りとか、経営破たんとか、朝からテンション下がるニュースばっかりですね。どこの世界にも当たり前と思っていたけれど、いい加減やばいだろうと思うには充分すぎるほど企業数。幸いにしてその最中に身を置いていないぼくは、これはどうなってしまうんだろうってことを外から眺めているんだと思う。
昨日広告批評の12月号をやっと買って、糸井重里さんの対談を読んだ。ネットやらブログってツールは、文章が完結している必要がない世界。活字に生きる人たちは、問題を提起したらその原因を探り、現状を語り、解決までの術を提案する。バーチャルにはその必要がなく、というかなくてもよく、ポンっとボールを投げたらそれまでって手法は往々にして起こりえる。そういうことを10年も前から説いていたのをどう評価するかなんてことはどうでも良いけれど、確かになーとは思う。
何事も上手くいかなくなると考えることは多くなる。それ以前のプロセスでは、頭よりも感覚で過ごしていたことにも、その意味や目的を探すことに奔走する。置き換えたら自分も同じ。ハッピー極まりないと感じていた時分にはそう感じる自分だけが僕の中にはいました。けど、そうそううまくいかなくなると頭が働きだす。論理によって、ハッピーでない理由や原因を探り出す。でも大事なことが抜けていて、それは論理によっては感性は動きがたいということ。
トップアスリートが、ゲーム中の判断力に関して語る場面がありました。
「ここはどうしてこういった反応をしたのでしょうか?」
「本能ですね。その瞬間には本能によって身体が反応し、のちにそれを理由づけるファクターをあと付ける」
これって結構リアルな気がしていて、トレーニングや練習といった中では、意味や理由を強調して行えど、それは実際のゲームの場で頭をフル回転させたって判断できないことは多い。要は、そうして行ったトレーニングを身体に定着させて、浸透させて、無意識行動にまで落とし込みましょう、ってことだと思うんですよね。
ああもう何が言いたいのかわからんくなってきた。
理性よりも感性の方が強いっていうことは僕の中では一つの大きな軸で、間違いないと思っています。
ジャッキー・チェンだって言ってたでしょ?局面局面で何を考えるかよりもどう感じるかにフォーカスすべきだと思うし、促すのだとすれば理性によってよりも感性によって導かれるものを強調すべきだと思います。それは楽をすれ、苦労から逃げろではなくて、気持ち良い方向へ進むための道を探れってことだと思うんですよね。
スゲー苦しんでる人がいて、人たちがいて、そういう人には良い思いをしてほしい。心底思います。
それに対して何も出来ないってことが悔しいし、無力感だなー。
Lil Mu