なかなか素敵な言葉だなと思いました。いちいち出てくる杭が打たれたぐらいでどうにかなるはずないと思えば、ある種当然とも思えるけれど、かゆい所に手が届いた感じです。別に自分がどうこうなんて話はこの際どうでも良いです。
色々あって久々の更新になりました。色々っていっても単純にネットに繋がってなかっただけで、自分の身に何かが起きたわけではなく、相変わらずハッピーな生活を送っております。ただ今日は長くなりますよ~。
今は実家です。素敵な会社で、お盆休みがあります。自分が独り立ちして働きだしたときにこの休みが有意義なのかうっとうしく感じるのかはわかりませんが、とりあえず今は有意義です。このペースで仕事ができるのが初めての感覚で、今はその中で頑張れば良いと思っています。
僕の尊敬する人は、おそらく日本でも有数の勤務時間を誇るところで働いていた人で、
「結果を出すために必要であれば人間は24時間働くべきだと思いますけどね」ってさらっと述べました。そうすることでどうなるかってことまであっての話で、すごく納得できるし、素直にそうだなと思いました。前にも書きましたけど、例えそうであっても仕事人間になる人とならない人ってのは間違いなく別で、その中で楽しめる人も絶対的にいると思っているから。思えば今の上司もおそらく同じで、必要であればそれくらい働いちゃう人なんだろうなと感じます。僕自身そういうペースが嫌いでもないし、その中で生まれるモノってのがどういうもんかも何となくわかる気がするんです。そしてそういうモノを求めている人と、求めていない人っていうのも別れていて、僕は前者でいたいとも思っている。それはきっと人間同士が生きるってことの中核で、人間関係って呼ばれるものなのかもしれません。
売り上げとか利益とかではありません。もちろんそれも大義としてはあるし、実際求められなければならない、達成できなけりゃ成り立たないけれど、人間が本当に追い詰められた時に、またそうでなくとも爆発的な力を発揮しようと思ったときに、モチベートされるのはお金や利益では絶対にないと心底思っています。人間同士が、支え合って手を取り合って何かに向かおうとする中で、結果としてそれを掴み取ろうとすることのほうがよほどスムーズだと思います。もしくは、そう思っていたいという意志もあるんだと思います。
何でそんなこと考えたんだろうと遡れば、テレビでは毎日オリンピックの中継があって、同時に甲子園もあって、レラカムイは今年も稚内で合宿をはって、東京でも尊敬すべき人が変わらずに頑張っていて、そういう中だったから。綺麗な生き方をしている人の姿は嬉しく思います。励まされもするし、惹きつけられる何かがあります。
全然違う話ですが、本日は第二の故郷高円寺でまったり過ごして帰省しました。CDも買いました。Sunrain recordsっていう素敵なお店があって、アンダーグラウンドなシーンの坩堝みたいなラックがバーンと立っていて、見ているだけでドキドキするような店です。遅めのランチを美味しくいただいて鈍行列車の旅となりました。それもまた素敵。
さっきタバコ吹かしながら考えたことがひとつあって、仕事や生活が厳しい・しんどいって思ってた時期が、ふと思い返したらすごく素敵な思い出になっていたりはするけれど、楽しい楽しいって思ってた時期は思い返したときに大した重みを感じない日々だったりもするもんですね。苦しかったり辛かったりする感覚はその場を離れれば忘れてしまうように、いくらでも彩られてしまうもんだなって。ハッピーだと感じる今がこの後どういう色になるかなんて絶対にわからない。だからってそれを恐れてどうにかすることも違うと思うんですけど。
ただ一つ一番上を見た感覚も僕にはあって、それはやっぱり昨年の一年だった気がします。あれは最高でした。いろんな場所でのいろんなシーンが、僕にとっては最高で、試合会場のチームの雰囲気とか、勝った時の喜びとか、負けた時の悔しさとか、別れの悦びとか、再会の感慨とか、悪いけどあの中にいた人間じゃないとわからない感覚っていうのが間違いなく存在して、それだけはこれからおそらく長いこと塗り替えられないベストなんだと思っています。それが僕の糧だし、原点じゃないにしても、自分の中の基点です。文句なく。
いやぁ、長らく書いた。もう終わります。
口パクだっていいじゃない!
Lil Mu