煙しか出ない

宮田屋に来たのに、読みたかった本を忘れてしまった…。

悔しくも、週末は栃木からの面々に持ってかれてしまった。もう27歳の自分の、まだ23くらいだった過去を知っている人たちだから、何割増かの懐かしさと若かりし自分が垣間見えて、少し恥ずかしくもなったり。客観的にみた自分と、結果的にまだまだな自分が存在して、相変わらず追うべき背中を再認させてくれる、胸キュンな数日でした。

現実を、受け入れ難い現実を、飲み込む前にどうあるべきかだけは強く持っていなければ。変えられないのは力不足故。戦う相手を間違えると、指示を忘れて罵声を投げるHCにしかならない。

1.15以降、気持ちが湧き上がる瞬間にはまだ出会えていなく、それは結局棚ぼたを待ってる姿勢が故とわかっていながら、一歩前に踏み出す勇気を、振りしぼれない自分の愚かさ。

2012も、遮二無二やるしかないのだ。

今日、うちの副館長は爪痕を残そうと発言した。その意思は、理解出来る。形はどうあれ爪痕の評価が仕事の評価。残せないやつはその舞台にも立てない。自分の欲も同軸にあるじゃないか。あるのは程度の違いだけ。

次のステージは目前。見たい光景はまだ見られないかもしれないけれど、見たくない光景は絶対に見たくない。そのモチベーションが、いつか逆転してくれるようにも思う。

だから、しっかりやろう。そんな訳で。

今さらモヒカン

気付けば1月1日の03:00。そんな感じで年を越しました。カウントダウンは夢の中で、除夜の鐘は北海道の二重窓にかき消され、そもそも外にいたって聞こえるかわからない鐘の音を、あえて聞こうと考えることさえしなかった。寒いし。

正月休みというものをほとんどとらないと、それはもはや単なる幾ばくかの休日でしかなくて、ゆえに年明け感もなく、正月ボケもなく、すんなりと何も変わらない日常の延長を生きてる感じ。AJに出た5年前?もホテルで気付けば年越しを経験し、それはもう正月感のない生活だったなー。あんまり覚えてないけど。

結局大して”振り返る”こともなく、”今年の目標”も考えず、ただやりたいことだけ羅列していくと、あるわあるわ。でも、それぞれにきちんと値札が付いてて全部やろうと思うもんなら破産するわ。結局カズをこなせるわけじゃないから、一度っきりにどれだけテンション上げて立ち向かえるかというところで、やっぱり当面のところ”一瞬でテンションを上げる”ことが僕の目標です。

節目節目はカレンダーによらずともやってくる仕事なので、半ば強制的なケジメはあんまり現実味がないなと、いうことを痛感したお正月でした。

でもちゃんとおしるこは作ったし、日本酒もキープしたし、それなりにゆっくり出来たお休みでした。

去年は勝負の年だと自分で言い聞かせたけど、今年はどうしよう。

決まったら次を書くことにしよう。

今を全力で

喉にひっかかる小骨のように、気になると離れない。忘れたと思ったら思い出す。ワールドカップバレーが清算しきれていなくて、日々入ってくる生き方に言及した表現が頭を巡って、結局自分はこれからどうすんの?が、一歩踏み出せなくて、文字通りの足踏み。

本当の意味で、周囲に流されない強い芯みたいなものを構築したくて、当然影響をされつつ、咀嚼した上での自分自身を、自立させなきゃ。今までだってそうだったはずだけど、そういう自分の中の気高さを、他人が言葉にしていたのを耳にして、あ、間違ってないんだなと少しばかり安心したのもある。

同時に、大学の頃の極めてリベラルというか、ある意味奔放だった感覚で、分別していくことがそこまで稚拙なわけじゃないなとも思ったし、歳を重ねる度に言わなくなったことや、それが分別だとしていた諸々が、自分自身を小さくしていくような実感は確かにしていて、そこからまた戻るというか、もっとストレートに考えていこうと、最近思う。

責任はいつも自分にある。そこから逃げないことだけ出来れば、何があろうとなんてことない。

昔は散々口にしていたような言葉が、全力とか、懸命にとか、今になって清々しく聞こえる時点でもはやおかしな話なんだけど、結局そういう泥臭い部分で生きてきたわけで、そこから脱却する必要性も、魅力も、今あるわけじゃない。

濯さんが、追い込まれた時こそ自答していた”今だ”の言葉に、湧き上がるモノを隠しきれなかったあの時の感覚を、忘れてしまった時が最後。次があるかなんてわからない。し、次があろうとなかろうと、”今ここ”にかけて生きることを、もう一度。

たぶんそれが次の一歩で、具体的なものなどなかろうと、僕にはそれで充分。

少しスッキリして、またこれから。

20111204-012606.jpg

20111204-012638.jpg

20111204-012656.jpg

ご無沙汰

いつぶりかの、コンサート撤去番でした。2週間のステージをこなした後のフローリングは、やはりご無沙汰感が強くて、たまに帰る実家みたいな感覚。ツアーが捌けて、現地さんが捌けて、バイトも主催者も捌けた後のアリーナには完全に自分だけ。そこに来て初めて積み重なった時間を顧みて、モノ言えぬ想いで帰ったのは4時半。

正直全然疲労感はなく、怒濤のように物事をさばくプロモーターと違い8時間45分のシフトに守られた僕らは、入れ替わり立ち替わり通常の貸館をこなすかのような対応。もちろんそんな単純なシステムじゃないけれど、そういうのはやっぱりその一員感を得るにはほど遠い状況で、そもそもそれが仕事じゃないだろうと言われればそれまでの、業務なんだなーと感じる。

朝からてっぺん付近まで、連日のように大群を率いる人間を目の当たりにすると、まだまだスゲーなーと思うばかりで、そこにいるモチベーションがこうも違うもんかと、少し情けなくなる。それが仕事柄なんだと言われるならば、それも少し寂しい。

館職員のプライドとは何ぞや。

これから来るイベントに大して向かうべきプライドとは何ぞ。表舞台に立ちたい訳じゃない、僕らが僕らの仕事に対して持つべきプライドを、これから考えなきゃいけないな。何だか振り出しに戻ったかのような感覚。それも試練。

Go Forth!

 

熊に注意

ご無沙汰になりました。しばらくここに書かなかった間に、幾つかのイベントが終わり、また幾つものイベントが目前になり、遠くにぼんやり見て見ぬ振りをしていた繁忙期が、輪郭を帯びてきました。恐い。

エースが奇病に犯される間に、僕らは僕らの力を試され、現実が浮き彫りになり、誰が引っぱり、誰が統率して、どう進んでいくのかを、身をもって感じました。その中で自分がどこにいて、どう思われ、どう進んでいくのかも実感しました。体育の日という一大イベントが、急造の体制で催され、そこに対する想いや、しいては僕らがやるべきことに対する姿勢が、結果となり、その実態もうやむやの数字によって評価され、忘れ去られ、そういうサイクルが今年もまたやってくるのかと思うと、何だかうんざりしてしまう。変わりたいなんて誰も思ってない。何かを興すアクションを、本気で喜ぶ人間は意外に少ない。それがよくわかった、というかわかってしまった。

そんな中、相変わらず職場と家の往復を繰り返す日々にかなり退屈を覚えました。家でyoutubeを観ては、BRAHMANの男気に感銘し、これじゃいかんと思って映画館に行っては、すすきのの舞台にドキドキして、思い返すと全部自分ひとりで行動して、今まで札幌にいた人間が本当にいなくなってしまったことを切なく思う。土日がことごとく潰れて、やっとこさ手に入れた今日みたいな休みも、明日からの仕事を思うと何となくセーブしてしまう。最近馬鹿やってないなーって、横田さんに観られたら恥ずかしい日々だ。

と思って、何しようかと思って浮かんだのが、山登り。とはいえそんなに体力もないから極力手前味噌でと思ったら、あった円山!借り漁ったBRAHMANを耳に意気だって降り立った地下鉄。ルートもまともに知らない27歳は、ハイカーや子ども連れに混じって辿り着く登山入り口。驚愕の案内板。熊だ。札幌市内とはいえ遠い世界だったクマ目撃談。ここで僕の生活に飛び込んで来たコンニチハ。全然嬉しくない。結局登山ルートは閉鎖にてその界隈をうろついて、大通りまでブラブラ歩いておしまい。何だか消化不良の一日になってしまった。

でも久しぶりにいつもと違うことをした気分。ほんのちょっとのリフレッシュで、これから来るコンサートコンサートバレーバレーコンサートエスポラーダ・・・ウム、耐えれんのか。それも超えなきゃいけないんですそれが仕事です。

さあ、ゆっくり風呂でも浸かって飯にしよ。では。

stay gold

台風が過ぎ、スカッとしない天気と同じく、何だかすっきりしない日々を過ごしています。riddimも解散。onlineでオーダーしたブーツも全然違うスニーカーを届けられ、元上司にもらった美味すぎる梨を一気に食べたら腹を下し、追悼式の日には背中に何かいて針打ってもらったし。

“tell me why?”

ですよ。まったく。相変わらず浮き沈みが大きすぎる。

そんな中、宇都宮から一本の着電。タイソンでした。同じく浮き沈みの得意な、でも図太く前進し続けるファイターだ。右上を目指さないと、あとあと背中を振り返ってみたら下降してんじゃないかと思うから、現状維持なんか最低だと思う。現状維持を目指したら絶対に下降する。結果的に。それが恐い。何に対する恐れなのかはわかんないけど。

そしてここに、最近現れたバスケットのチームがいる。新しくマネージャーになった男と、トレーナーになった男は当然ベースになるものがないから、右往左往しながら自分たちのチームを必死に作ろうとしている。間違いなく右上を見てる。結果、右上には進んでないかもしれないけれど、何とかゲームへ向けて這いずっている。低空飛行でも、少しずつでも、前に進めるエネルギーを彼らは持っていて、僕にはないな。

そろそろやんなきゃと思っているけれど、どうだろう。

LALA

大好きなアーティストが、バンドが、解散してしまいました。おいおいそんなことで、と自分でも思うくらい、後ろから頭をバコンと殴られたようなショックで、相当凹んでます。何枚かのアルバムを出して、DVDを出して、ライブに行って、次は何をやんの?をいつも楽しみに期待しては、軽くすかされる感じに快感もあって、思えば精神的にしんどい時も勝手に励まされてみたりもしてた。

音楽が好きだ、と思う裏にはたぶん彼らがいて、僕の中ではダントツ世界で一番好きなアーティストだった。たまにしか行かないカラオケではいつも必ず彼らの曲が入っていないかを確認しては、いつになっても入ることはなく、きっとこれからも入ることはなく、僕が彼らの曲を熱唱出来るのは、きたえーるから帰る暗闇の中でしかないんだ。

大学の時、ふいに友人から薦められたアルバム。あれがなければ今の僕はなかった。何がどう影響してるかなんてわからないけれど、たくさんの音楽への道しるべだったし、ファッションだったり、嗜好だったり、もしかしたら他の何より影響を受けてるのかもしれない。

イベントごとで、ここぞ!って時は絶対にかけるRiddim Saunter。ドライブに行くときは絶対にしのばせるRiddim Saunter。結婚式なんて出来た時には絶対にかけたいRiddim Saunter。シャレオツで、popで、funで、幸せになれる。

“強制するつもりはないけれど、共感してくれる人がひとりでも増えたら嬉しい”。なんだか素敵な感覚。音楽なんてそんなものだと、心底思えたのも彼らゆえ。それまでの僕は、自分だけのイイネが、万人にとっても間違いなくイイネであることを疑わなかったし、それが伝わらないことに信じられなかった。信じたくなかった。今は誰が何と言おうと、僕にとってのイイネを言い切れるし、それが受け入れられなかろうが、それはそれ。わかってくれればいいなーと思って、そっと隣で鼻歌歌うくらいの感じ。

何より、自分が自分をかけてやることに、心の底からの笑顔で向き合える姿勢を見せられた。怖い顔してやるんじゃなく、真顔でやるわけでもなく、笑顔で。それも含めて、表現するってことだなーと、つくづく思った。僕自身、自分が好きでやりたいと思ってることに対して、笑えるかなって、今でも思いながらやってる気がする。

仕事も、遊びも、表現だと。そして生きることさえも。その節々で、笑っていられる彼らがすごく羨ましかったし、そうなりたいなと本気で思った。ステージは違えど、いつもそんなことを思った。

なんだか臭すぎるカミングアウトになってしまった。ダサすぎる告白みたいだ。でも、誰が何と言おうと、僕は彼らが大好きであって、解散という結果に対してすごく残念に思っているわけで、未だ受け入れられないその事実に、どうすることも出来ず、とりあえずやっぱり彼らの曲を聴いては、今後新しい彼らの曲を聴けないつまらなさを感じて、やっぱり残念に思うしかないのである。そう、またライブに、行きたいなー。

南無


1年ぶりの東京でした。帰ってみたら前回いつ帰ったかを間違って認識していたみたいで、1年てのは記憶を違えてしまうくらいの期間なんだなーと、自覚している以上に時間は経っていたみたいです。

今回は会いたい人にとことん会おうと思い、それまではどこに行きたいとか何を食べたいとかそんなことばかり考えていたけれど、少し違う感覚で計画してました。結果、もちろんすべて思った通りではなかったけれど、短いながら充実していた気がします。

色んな人が遠ざかって、寂しい想いが大きかった時期でした。何をやるかよりも、誰とやるかを考えて来た札幌だったけれど、そういう当初の付き合いや想いが薄れているのを、自分でも実感していたところ、そんな中で今をどう生きていくかって事をすごく考えられた数日間でした。菅原さんのように自分が尊敬している人と会い、セノーの元同僚と会って、背中を追っていた元上司と会って、今まさにディープな仕事付き合いをするような人とも、もちろん家族とも会って、その芯というか、根底の部分を改めて強くするような。

人がいなくなっていくことを何となく喪失感として捉えていたけれど、いろんな人と出会えたことを今は豊かさだと思えるようになりました。もちろん会いたい人とはずっと付き合っていたいけれど、自分の記憶や感覚に残った”その人”をきちんと心に残しているし、そういう中から自分がどう進んでいくかを作っている気がするし、何より、またいつか会えるという想いを持ち続けられるような関係を、作れた人がいる。今は逆に、そう思える人間関係を改めて作っていかなきゃ行けないし、作りたいとも思う。

魅力的な付き合いを、していかなきゃいけない。それが次の豊かさに繋がるんだなと思った。

地元も横浜も東京も札幌も、僕は改めて好きだと思った。住む街で仕事を選んだって決して恥ずべきことじゃないと思っていたけれど、不思議と今は街のことは考えなくなった。どこにいても、やりたいことをやり、なりたい自分になれるようにすることしかないと吹っ切れたのかもしれない。

何となく今回は、ステイしている間も帰ってきてからも幸せな気分でいます。

それぞれがものすごく強烈な時間で、印象的すぎてまとめてどうってことは難しいのだけれど、今がこういう気持ちだということが全てなのかな。おそらくまたしばらく帰ることはないだろうけど、それまでまたここで前へ進めるように。しっかりやっていかなきゃ。そんなわけで。

また

weaponと、タカちゃんと、三人で車に乗って出かけるテンションで、実感もないままに今日を迎えました。サブロクを走って、高速を走って、そこまではいつものこと。千歳が見えてきたって何にも思わないけれど、”国際線”へ入る辺りから、ちょっとそこまで行ってくる感覚とは違う遥かに大きな距離感を感じて、”その時”と直面しました。

最後の最後に北海道っぽいものとか、そういうものは一切不要だった気がして、どうせなら宮越屋とか、そんなことはどうでも良かった。別れる瞬間まで、どうったことない話をして、過去の話をして、これからの話をして。

最後までタカちゃんらしかったのは、チェックインのカウンターで、何人かが案内をしている中からあえて若い姉ちゃんの所を選んだこと。しかもそれをあえて自分からは言わず、最後の最後に笑いながら”何であそこ選んだかわかった?”って聞くところ。その子の名前をちゃんと確認済みだったのは当然。タカちゃん、あなたがそういう人間だってのはもうとっくに知ってます。

そういう”あえて言わない”強さを持っていたのがタカちゃんで、あえて言わないから、時にこぼれてしまった弱音や愚痴が、ものすごく痛々しかった。でもタカちゃんのそういう強さや大きさに、どれだけの人が助けられたか。慕っていたか。たぶんそういうのは、きっと本人もわかっていたと思う。

たくさん飯も食いに行ったし、飲みにも行った。バスケもした。素敵な近所付き合いだったし、尊敬出来るトモダチだった。これが別れっていう感覚じゃないけど、しばらくはきっと会えないと思う。バイバイした後に、少しずつ実感がわいてきた。

最後に握手した時、力を込める程涙腺が緩んだ。お互い涙はないけど、純粋な笑顔でもなかった気がする。あれだけ人に手を振ったのはいつぶりだろうってくらい振った。いつもは”また”の一言だけれど、今度のまたはいったいいつだろう。

いつでも会える人が減っていって、いつか会いたいと思える人ばかりが増えてきた。しばらく会えない内に、どれだけ彼の強さを見習えるだろう。

アメリカ仕込みの九州男児。なんかかっけー。

タカちゃん、また!

あと

8月14日PM23:40です。PCの前に貼ってあるカレンダーを、やっと7月から8月へめくりました。半分も過ぎてからになってしまったのは、それなりに忙しく、ばたばたと過ごしていたということかも。単なるめんどくささゆえか、真意はわかりません。

8月のカウントアップは、TAKAちゃんとの別れのカウントダウンとイコールで、今日も一緒にモンゴルへ出国して、鉄鍋上でチンギスハーンと大喧嘩してきました。今日の晩飯はすごく美味しかった。幸せな気持ちになって、久しぶりにご飯を美味しく食べられた気がします。

帰路を二人で歩いているうちに、僕自身が北海道を離れた時のことを思い出して、いろんな場所と人に会っておきたい気持ちと、それぞれに、これが最後、そういう気持ちを込めて挨拶をして、手を握りしめて。そうして旅立っては、そこから先のことなんて全然わからないし、ただ、しばらくの期間間違いなく会えなくなるっていう実感が、積もりに積もって、寂しさを隠しきれない。僕が北海道に来てから、本当にたくさんの人が離れていく。それ自体を悲観はしないけれど、寂しさだけは確かに募る。

背中を押したい気持ちと、どんどん寂しくなる想いとが交錯して、今は寂しいベクトルが強くて、ちょっと辛い。

無理くりにでも上げていこうとは思うけれど、どうだろう。